発達障害は個性なのか?医療現場で感じることを話します。

精神疾患まとめ
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こんにちは。
精神科作業療法士の大祐です。

本日は発達障害は個性なのかということについて
私なりの考えを書いていきます。

 

最近では、発達障害という言葉がよく聞かれるようになりましたが、
これが個性なのかということもよく言われます。

 

私の結論から伝えると
困っていれば「障害」、困っていなければ「個性」と考えています。

 

発達障害と言うのは、非常に曖昧な概念です。
そもそも「発達障害」に対する世界共通の診断基準、
それ自体が数年ごとに変化しているのが現状です。

 

ではなぜそうなるのでしょうか。
それは、発達障害と言われる人たちの何が正常で何が異常なのか、
その境界がどこにあるのか、はっきりと白黒つけることができないからです。

 

それは、よく考えてみれば当たり前のことです。
成長過程で見られる発達の状況が一人一人違うのは、
何も発達障害の人たちに限ったことでは無いからです。

 

健常者と自覚している人たちの中にも、
生まれてから成人するまで、発達のスピードは人それぞれです。

最終的に到達する発達レベルも、みんな一緒ではなく、
一人一人異なっています。
人はひとりとして同じ人はいませんし、それが個性です。

 

ではなぜ「発達障害」という診断グループが設けられ、
精神科で見るようになったのでしょうか。

1~数%程度の確率で、ある種の能力の発達が遅れているために
社会に適応できない(生きづらい)人が生まれ、
そのために本人が困る、あるいは周りが困る、
ということが起こってくるからです。

 

いかに風変わりな人でも、周囲から認められ、尊敬され、
愛される存在なれば、それは「個性」です。

しかし、周りから非常識と言われ、嫌われ、阻害され、
いじめられれれば、誰でも大きなストレスを感じるようになり、
普通に生きていくことが難しくなってきます。

 

一般的には「その人の性格」と理解されて人格的に
否定されてしまうので本人の社会的はますます難しくなります。

 

しかし、アスペルガーやADHDの患者さんの
「周囲と違うおかしな行動や言葉」は、
決して意図的に行っているものではありません。

 

社会性は子供たちの発達の過程で獲得されていくものですが、
アスペルガーやADHDの人たちは、
社会性を育てるために必要な能力(人の心を読む、
臨機応変に考えるといったようなこと)が生まれつき育ちに来かったり、
その部分の発達が遅れていたりするだけです。

 

わざとおかしなことをやっているわけではなく、
何の意図もなくそうなってしまっているだけです。

それは性格(人格)とは言えないでしょう。

その患者さんは、自分らしく生きようとしているだけなのに
周囲の人といざこざを起こしてしまうことがあります。

いくら的を求めても解決にならないことが少なくありません。
これを求めれば、人生そのものに失望や絶望感じるしかなくなります。

 

特に、親や先生、同僚や上司といった周囲の人々が、
彼らの「他の人たちとは異なる生まれつきの特徴」を理解せず、
無理矢理社会に適応させようとすると、
本人のストレスはどんどん大きくなります。

もともと「発達障害」というのは、
障害とは言い切れない部分もある非常に曖昧な概念です。

 

上に書いたように、発達障害の特性を持っていても
健全に幸福な人生を生きている人はたくさんいます。
それなのに、無理に社会に適応させようと
必死になる親からのプレッシャーなどを受けることによって、
彼らは自分を見失い、萎縮し、挙句の果てに
うつ病、神経症といった本当の病気になってしまう
場合もあるのです。

 

発達障害の特性は、ただの「個性」のようなものなのに、
本人や周囲が理解できないために社会からドロップアウトしたり、
心の病気を引き起こすようになる、
それが問題になるために障害として
診断されているということなのです。

 

個性を活かして、自分が生きやすい人生を生きる。
それは、発達障害の人たちに限らず誰もが願うことであり、
人生最大のテーマだと思います。

 

しかし、発達障害の人たちは全体的に「生きづらい状態」にあるため、
それが少し難しくなっています。

 

したがって、思春期の頃から、慎重に、計画的に
「どのように生きるか」を勉強し、
自分も周囲も幸せになれるような生活環境を
意図的に作っていく必要があります。

 

それができれば、発達障害の病気ではなく
ただの「個性」で終わるのです。

 

まとめ

発達障害は個性なのかということについては
本人が困っていなければ「個性」だと
考えています

ただ、社会の発展とともに、世の中には
ストレスがどんどん増えてきています。

地域の絆が薄れ、職場や学校での人間的な結びつきも、
もはや昔のように強いものではありません。

人は誰しも孤独で、悩み事を解消しにくい
世の中になっています。
発達障害の人たちは、なぜ自分が嫌われるのか、
叱られるのか、理解できません。

周囲の人は、発達障害の人がなぜそういう
行動とるのかが理解できません。

 

それは、お互いの常識が全く異なっているからです。
異なった世界を生きているからです。
その溝は、お互いが意図して理解し埋めていかなければ、
到底埋まるものではありません。

障害を持つ人たちだけでなく、その親も先生も職場の仲間も、
幸せでストレスのない人生を歩むために、「理解」が必要です。